がらくたばこ

記憶のがらくた突っ込んでます。それだけです。

美意識

美意識っていつ芽生えるんだろう。人間の考え方っていつ大まかに定まるんだろう。まあ人それぞれなんだと思うけれど、わたしの美に関する概念は中学のとき生まれたものでできているきがする。

 

わたしの通っていた中学は、「かわいい女のコ」がカースト上位に属していた。「かわいい女のコ」というのは顔はもちろんだが、品があったり、文字がかわいかったり、仕草や持っているものまでかわいかった。髪の毛もなんだがつやつやしていい匂いがしていたし、運動部なはずなのになぜかみんな真っ白だった。そういうコたちは、夏場はほぼすべての休み時間毎に日焼け止めを塗っていた。しかもそういうコたちは、無駄毛が生えていない。昔のアイドルみたいなものだ。「オナラも排便もしない」、そういうふうに思わせるコたちだった。

そのコたちは涙ぐましい努力をしていたんだとおもう。化粧やおしゃれに制限のある中学校という狭いコミュニティのなかで、いかに「かわいい」を生み出せるか。自己プロデュース力が高いか。そういうのに長けているコたちが、カースト上位に配属されていた。

わたしはそういうコたちを見て育ってきたし、憧れた。いわゆる「陰キャ」だったけれど、そのコたちに憧れて、かわいいものを集めてみたり、ファッション誌を読み漁ったりした。ブスなりにヘアケアも頑張りだした。そうすると、そのコたちが「可愛いね」と褒めてくれる。それがわたしの生き甲斐だった。

 

ブスは生きる価値なんてなくて、かわいいコしか生きていけない。こうやって文面で見るとなんて息の詰まるコミュニティなんだろうとかんじるが、わたしはいまでもそれが当たり前に感じる。だからどうにかして自分のブスを殺そうといまだに奮闘している。

 

けれど高校は、男女ともに、おしゃれはしたいひとがすればいい、そこまで「美」は意識されない、という風潮だった。これが正しいんだとおもう。

けれどやっぱり植え付けられてきたものは大きくて、周りにもそれを強制するつもりなんていっさい無いが、自分に無駄毛が生えているとゆるせないし、鏡をみれば「かわいいあのコ」はそこにはいなくていつだって凹む。どれだけヘアケアをがんばっても、あのコみたいな艶は生み出せないし、どれだけ化粧をがんばっても垢抜けない。加工しても加工しても理想には近づけない。

SNSで見るあのコは、いまだにきらきらしていてかわいい。あの頃とさほど変わらないのに、けれど霞まない。どんな血の滲むような努力を重ねてきたんだろう。しかも、それを怠らず、それどころかそのとき以上に努力しているというのがSNSからでも伝わってくる。わたしはまだまだ未熟だ。いつかあのコに近づけるよう、がんばらなくちゃ。

 

(こんなの書いてる暇あったら自分磨きしろよ)