がらくたばこ

記憶のがらくた突っ込んでます。それだけです。

素直な人間

 素直な人間が好きだ。

 これは、自分自身が馬鹿正直で、良い意味でも悪い意味でも嘘を吐けない気性だからかもしれない。もちろん、人を傷つけないためのやさしい嘘、というものが存在するのも知っているし、ある程度歳を重ねてきて、そういう嘘の大事さに気付けるようになったけれど、それでもやっぱり素直な人間のほうが好きだなと直感的に思ってしまう。

 人は必ず死ぬ。死なない人間なんていない。この世の中できっぱりと断言できる数少ない物事のうちのひとつに、死がある。いつ死ぬかわからないんだからいまを突っ走りたい、と自分勝手に生きているわたしにとって、死を直視できるほどに素直な人間は愛おしく、ありがたい存在である。逆に、「まあ、人生百年時代なんだしさあ、ちゃんと先のこと考えなよ」なんて言われると、いくらわたしを想っての発言だとしても、「あーなんか合わないのかもな」と感じてしまう。うまく説明できないけれど、本能が告げる直感だと思う。いま急に心臓発作を起こして死ぬかもしれないのに、最近連絡を取っていないあのひとはじつは亡くなっているかもしれないのに、死に備えるなんて不可能じゃ?と感じてしまうのだ。身近すぎて備えられない。もちろん備えあれば憂いなしって言葉通り、お墓も葬式資金も用意しておけばいつ死んでも構わないのかもしれないけれど、そういうことじゃなくって、いつ死ぬかわからないからこそ確実に在るいまと真正面から向き合いたい。

 死に関してわたしの持つもうひとつの考えは、人がひとり死んだところでみんなそんなダメージを受けない、ということ。心のどこかにぽっかり穴が空いて寂しい感じはあるが、傷はいつのまにか癒え、かさぶたになって痕がのこったとしても穴自体は塞がる。この感性をなんとなくでも理解してくれるひとは、きっと、わたしが愛したくなってしまうような素直な人だと思う。

 

 恋人や友人に関して、よく「価値観が合う人がいい」「価値観が合わなかった」なんて言葉が多用されるが、価値観が合う人間同士なんてきっと存在しない。居心地のいい空気感、というのはあるが、価値観はおそらく全員違うし、ただ、なんとなく近かったり、考え方がまるっきり違ってもゆずれてしまうほど愛している、というのを、「価値観が合う」と表現しているのだと思う。

 

 こういうことを書いていると、自分がいかに面倒くさく、恋愛が不向きな人間か判ってしまって虚しいが、まあ、自分に嘘は吐けないのでしかたがない。いつ死ぬかわからないんだし。