プロポーズ
あー。なんかさみしい。
最近、きゅうに暑くなった。梅雨のせいだろうか。じめじめした気温って、まとわりつく髪とか服もうっとうしいけど、なんだか心のなかまでヤなかんじになる。某ウイルスのせいでぜんぜん季節の変わり目を感じとれていなかったが、梅雨によって “6月” を身をもって思い知らされた、ようなかんじがする。
いまも、外で蛙がうるさく合唱中。蛙の合唱ってよく言うけどさ、そんな聴き心地のいいもんじゃあないよね、コレ。不協和音だよ。映画「天使にラブ・ソングを」に出てくる、最初の合唱団レベルだよ。シスターメアリークラレンスがやってくる前の。あー、げこげこうるさい!
なんだか、なつの夜は、さみしい。この涼しい暗闇のなか、ひとり取り残されてるみたいな気がする。そんなわけないのに。そう、そんなわけない。ほんとうにひとりぼっちだったら、まずこんなブログやってない。そうでしょ?……いや、まあ、だれも見てないかもしれないけど、だけど見てくれるかもしれないひとはいるんだから、ひとりぼっちじゃない。あー、だけどさみしいな、やっぱり。
さみしいわたしは、急に愛のはなしをはじめようとおもう。
なになに?唐突だねって?まあいいじゃん、終わりも始まりもないもんなんだからさ、日記って。ひとりごとなんだから、ゆるしてほしい。
無償の愛、っていうことばをよく耳にする。だけどわたしは、そんなものないとおもっている。だれもが知る名作、『星の王子さま』でも、キツネはこう言っている。「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」って。つまり、人間、自分が手塩にかけた時間分、その対象に情が湧いちゃうんだよね。その情を愛って呼ぶんだと、わたしはおもってる。だから、愛って、結局依存。過去の自分に対する依存。ね、簡単であほらしいでしょ。あほらしいけど、むずかしい。
でも、どれだけ愛が嘘まみれだっていいから、わたしは愛されたい。ていうか、そんなひとばっかりでしょ、世の中。
愛って具体的に、なんなんだろうなあ。ひとそれぞれなのかな、愛のかたちは。
わたしは、……わたしは、そうだなあ、ありふれた言い方しかできないけど、美味しいもの食べさせてあげたいとか、かっこわるいとこも愛しいとか、汗もいやじゃないとか、それから、「いますぐあいたい」って言われて、自分のできるかぎりのはやさで会いにいっちゃったりだとか……、そういうのが、きっと、愛なんだとおもう。
さいきん、いとしいとおもうことが増えた。
なにもかも、素直にいえないけど。
毎日を分けあいたい、幼い頃誕生日にたべたホールのケーキみたいにさ。きみになら、特別にネームプレートの部分だってあげちゃう。それくらい、それくらい大きくなってしまった、わたしのなかで。
まどろみのなかでの愛のささやきも、無防備な寝顔も、わたしよりすこし高い温度も、抱きしめる腕のつよさも、ぜんぶいとしくて、おもいかえすと苦しくて、きゅうって胸が締め付けられる。ふざけてるわけじゃなくって、体毛すらいとしいんだよ。おかしいよね、わらっちゃうよね。
わたしは四六時中かんがえてるのに、いつだって忘れられないのに、きみはそんなことなさそうで、ずるい。しあわせそうな姿を祝えないのは、わたしの弱さだ。わたしのことでだけ、感情を揺さぶられててほしい。ねえ、傲慢かな。傲慢だね、ごめんね、だけど、わたしをこうさせたのはきみだから、責任とってわたしの感情のいちばんふかいところ、ずっとずっと支配しててね。わたしの特別枠に居座りつづけてね。それでいい、それがいいや。
けっきょくプロポーズ。
おわり。